コロナ禍で露見した医療費削減の弊害と医療費亡国論の嘘

1983年当時の厚生省保険局長吉村仁氏による医療費亡国論以来、国は医療費抑制政策を取り続け、「無駄を省く」として、医療におけるヒト・モノ・カネ、つまり医療者・医療器材・報酬といった医療のリソース(医療資源)を数十年に亘って削り続けてきました。そこへ起きたのが今回のコロナ禍です。

財務省寄りの経済学者で、緊縮財政、医療費削減推進派の代表ともいえる土居丈朗慶応大教授などは新型コロナ・パンデミック直前の2019年12月12日付読売新聞のインタビュー記事で「国民皆保険のせいで無駄な受診が多くなり医療費はかさんでいる。病床数を減らせば日本の医療費は3兆円ほど圧縮できる」という主旨の発言をし、これを自己のツイッターで拡散していました(末尾の資料参照)。しかし直後のコロナ禍で都合が悪くなった途端、このツイートをそそくさと削除し、新たに「誤読に注意。医療従事者に感謝」などと実にみっともない言い訳のツイートをしている有様です。

地震や水害などの局地的災害なら何とかごまかせたかもしれませんが、戦争や疫病のパンデミックといった全国規模(世界規模)の有事に対しては余裕・余力が削がれてしまっていて全く対応できないことが今回のコロナ禍で図らずも露呈してしまったのです。医療現場の責任に転嫁するような酷い論調も一部に見られますが、これこそ完全に長年にわたる政府の誤った医療費抑制政策のツケといえます。

医療は国民の命を守るのに欠かせない安全保障の問題です。これは、警察、消防、防衛などと同じカテゴリーに属すると考えるべきでしょう。ただ、警察、消防、防衛などが公営(公務員)であるのに対して、医療は公営と民営が混在している点が異なります。今回のコロナ禍で有無を言わさず最前線に矢面に立たされたのが国公立病院の公務員である医師たちであることは言うまでもありません。しかしこれらの医師に比べて何もしようとしないと叩かれたのが中小病院や開業医の診療所でした。しかし中小病院や開業医の診療所は一般企業と異なり、国民皆保険制度や診療報酬制度といった統制経済の中で営業している言わば半官半民的存在であり、その特殊性が全く理解されていないことこそが大きな問題なのです。

国民の安全保障を担う警察、消防、防衛などを、経済活動に寄与しない、何の儲けにもならない赤字部門だからといって予算を削ったり、合理化にために民営化したりすることが果たして国民の利益といえるのでしょうか。医療も同じことです。医療の自由化、民営化を進めてコロナ以前から既に医療崩壊に陥っている国があります。それが米国です。日本の医師は皆(多少の例外はどんな集団にもいますが)、国民の命や健康を守る安全保障のために精一杯尽力したいという強い意思や倫理観を持っています。それ故米国のように医療の完全自由化により他の企業や会社と同じく自由に利潤の追求をし、仮にもっと裕福になれるとしても、日本の医師は皆そのようなことは望まず、半官半民でよいから国民皆保険制度を守り抜きたいと考えているのです。

今回のコロナ禍を奇禍として、有事に備えた余裕のある医療提供体制を再構築すべきでしょう。さらにいえば、警察、消防、防衛以外の国民の安全保障全体についてもっと広く、深く考え直す絶好の機会でもあります。道路、橋梁、トンネルや鉄道などの交通網の整備は当然のことです。医療以外でいうなら、食糧(農業)、電気、ガス、水道、通信、行政、公務といったものです。すなわち国民の命にかかわるモノやサービス、いわゆる「ライフライン」は本来なら経済活動として利益を生む必要などないものであり、たとえ赤字になっても国が全面的に保障すべきもののはずです。

然るに国や財務省、グローバリスト、御用経済学者たちはこぞって政府の財政負担を忌み嫌い、構造改革、規制緩和、自由主義、市場原理、競争原理、最効率化、能力主義、合理化、官から民へ、改革を止めるな、身を切る改革、などとあたかも良いことかのように思わせる言葉を並べ立てて「小さな政府」こそが正しいという意識を国民に植え付けてきたのです。そして「聖域なき」などといって絶対にやってはならない安全保障の合理化、民営化を次々と進めてきました。すなわち国鉄、高速道路、郵政等の民営化は不採算部門の切り捨てに繋がり、農業の自由化は食料の外国依存度を高め、食の安全の軽視に繋がり、公務員の削減は非常時のマンパワー不足を生むなどしたのです。医療資源削減政策の推進も然りである。これらはすべて地方の衰退と東京圏への一極集中問題にも繋がっています。

ここで必ず「では高福祉高負担の『大きな政府』でよいのか。その分税金が高くなってもよいのか」という財源論になります。大半の人は、国の財政赤字は膨大であると聞くと『小さな政府』にして公的なものもなるべく民間に任せて合理化し、緊縮財政になっても仕方がない、という結論になってしまいます。あるいは「金持ちや企業からもっと税金を取ればよい」という人がいれば一方で「なぜ我々が汗水たらして稼いだお金で努力しない連中を助けなきゃならないのか」という人がいて、国民の間で所得格差による分断を招くような議論になってしまうのです。

ところがこのコロナ禍で日本は当初予算の100兆円をも超える財政出動を行いましたが、ハイパーインフレにもならず、長期金利の高騰もなく、主流派経済学者たちからこぞって否定され、異端視されてきた現代貨幣理論(MMT:Modern Monetary Theory)の正しさが図らずも証明されてしまったのです。MMTは従来の商品貨幣論や貨幣のプール論とは一線を画す信用貨幣理論で、「現代の地動説」ともいえるほどの強烈なインパクトを世界中に与え続けています。それゆえに既存の経済学者からは激しい迫害を受けてきました。しかし否定派の論調をみると様々な理屈を述べ立ててはいますが文字通り机上の空論で、経済の専門家でもない素人には非常に分かりにくく、実体経済とかけ離れているように思えてなりません。

もしMMTが正しければ「限られた税収財源を膨れ上がる医療費ばかりにつぎ込めば国家の財政は破綻する」という医療費亡国論など吹き飛んでしまいます。MMTは決して貨幣発行を無限に行ってよいと言っているわけではありません。MMT否定派の主張は常に結論ありきで、MMTを信用すると大変なことが起こると言いながら結果が異なるとコロコロ変わっていくので全く信用できません。それでは彼らの主流派経済学で果たして社会はよくなったのでしょうか。「小さな政府」や市場原理至上主義、新自由主義はGAFAや大企業の経営者など一握りの大金持ちが世界の経済を支配する世の中を生み出し、その強欲ぶりには際限がありません。その周囲には「今だけ、金だけ、自分だけ」と、同類の強欲な人々が群がり、世界中で貧富の格差は益々広がってきています。このような世界を作ってきたこれまでの経済学が本当に正しいと胸を張って言えるのでしょうか。

財務省は即刻財政均衡主義への妄信を捨て、需給バランスの調整による経済成長を目標にすべきです。本当に国民のこと、子や孫の代のことを思うのなら、政治家や財務官僚は20年以上続くデフレ下の中で行われ続けた緊縮財政が誤りであったことを率直に認め、多くの国民が困窮し、コロナ禍で日本経済が最大のピンチを迎えている今こそ積極財政に転換し、国内の総需要拡大に努めるべきではないでしょうか。